第3回 つなぐチーズとひとづくりの話(白糠酪恵舎)


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2019年夏、コープさっぽろから1冊の本が出ました。タイトルは『挑む農業』。
第10回農業賞でビジネスモデル賞を受賞したニセコ髙橋牧場と白糠酪恵舎の事例を小樽商科大学グローカル戦略推進センターの李濟民先生、北川泰治郎先生、後藤英之先生、一般社団法人地域の魅力研究所の近藤真弘氏がまとめた書籍です。
このコーナーでご紹介するのは『挑む農業』の制作で白糠酪恵舎におじゃましたときのこぼれ話。
休憩室に貼られた1枚の紙をめぐるお話です。

取材・文/長谷川圭介
撮影/工藤了

チーズとは、食べものである

白糠酪恵舎は2001年に開業したチーズ工房。白糠の生乳を使い、白糠の工房で、白糠・釧路の人に向けたチーズを製造しています。
主力はフレッシュチーズのモッツァレッラ。ミルクの風味が生きたチーズです。

つくっているのはこの方、井ノ口和良さん。

1963年福岡県直方市生まれ。帯広畜産大学を卒業後、薬品メーカーを経て、94年より農業改良普及員として白糠町で若手酪農家を指導。
酪農のまちなのに乳製品を食べる文化がない。そのことに疑問を抱いた井ノ口さんはイタリアへ渡ってチーズづくりを学び、2001年4月に酪農家14戸と有志でお金を出し合って株式会社白糠酪恵舎を設立しました。

白糠酪恵舎のチーズをひとことで表せば「乳を感じるチーズ」であること。
「乳の本質はお母さんの愛です。それはやさしくて強い。決して個性的であったり、複雑であったり、インパクトのあるものではない。チーズは商品である前に食べものなんです。食べものだから安全なのはあたりまえ。おいしいのはあたりまえ。栄養があるのはあたりまえ。そして、そこそこの値段で買えることが重要であると考えています」。
100グラム2,000円のチーズをめざすのではなく、「まちの人が普段使いできるチーズ」。
これが井ノ口さんのチーズ哲学です。

変えずに変われ!

わたしたち制作チームが工房におじゃましたのは2019年6月下旬。
道東・白糠でも車のエアコンが欠かせない暑い日でした。
打合せのために通されたのはスタッフの休憩室。ローテーブルの周りに4人も陣取ればいっぱいになる部屋です。
室内を見回すと、コルクボードに貼られた1枚の紙に目がとまりました。

初心に帰り、初志貫徹。
職責を全うする。責任を取る。
全力で仕事と向き合うこと。

チーズと向き合え!
たるんだ精神を鍛えなおせ!
最高のチーズをつくる!

変えずに変われ!

ドキッとしました。
スタッフのみなさんは休憩のたびに貼り紙を目にするでしょう。
「たるんだ精神を鍛えなおせ!」その言葉がギロリ睨みつけるのです。
背筋がビンと伸びました。
「全力で仕事と向き合うこと」。
おかげさまで良い緊張感の中で撮影に臨むことができました。

後日(本が無事完成したあとに)、井ノ口さんと再会する機会があり、貼り紙について聞いてみました。

「今年(2019年)の春ですね。あの紙を貼ったのは。その前の秋口になんだか良くないなと思うことがありました。イタリア人の知人を呼んで指導を受けて、修正したけれどそれでもまだなおらない。それで春に工程を総点検したんです。すると、いくつかの工程で決められたことができていないことが判明しました。それまでぼくは配達や商談で外に出ることが多く、ある程度彼らに製造を任せていました。ところが見えないところでほころびが出始めていたんです。原因は思い当たります。去年から、ご多分に漏れず、ぼくらの工房でも時間短縮の努力とか、作業の効率化を進めてきました。しかし、そこに落とし穴がありました。
決めたことをすべてやるには時間が足りない。時間がないので仕方がないからこう変えよう。時間、時間。時間を言い訳にグダグダになっていたんです。
よく分かりました。品質向上に重きを置く以上、惜しんではいけない手間がある。そこをもう一度立て直すために、彼らから全部を取り上げて、現場に張り付くことにしました。」

「3カ月ぐらいかかるんです、結果が出るのに。良くなるのも、悪くなるのも。品質が向上すれば3カ月後に売上が上向く。品質が悪くなれば3カ月間は表に出ない。数字が落ちたなと思ったら、原因は3カ月前にあるんです。売上が戻ってきたのは9月辺りからですね。少しずつ成果は出てきていると感じています」。

井ノ口さんの話を聞きながら撮影にときにお世話になったスタッフのみなさんの顔を思い出していました。「悔しかったでしょうね」。思わずそう漏らすと、井ノ口さんは静かに笑いました。

厳しいまなざしの奥にあるもの

厳しくあることが難しい時代です。
厳しさが必ずしも是とされる世の中ではありません。
でも、井ノ口さんは厳しさを貫きます。

「ぼくらは日々、勝負しなければなりません。昨日つくったチーズと、今日つくるチーズとの戦いです。他社がどうのこうのではないんです。大事なのは再生産すること。ぼくらのチーズを必要とする方がたくさんいれば再生産できます。必要がなくなればチーズは売れず、ぼくらはチーズをつくることができなくなります。極めてシンプルですが、そのためには相当シビアな仕事をしなければならないのです」。
そうやって18年間、井ノ口さん率いるチーム酪恵舎はチーズをつくり続けてきました。

「おかげさまでぼくらのことを応援しようと、一度買ってくれた人がずっと買い支えてくれる、さらには人に勧めてくれる。飲食店は頼まれてもないのにメニューボードに『白糠酪恵舎のチーズを使った○○』と書いてくれる。だからぼくたちは営業にコストをかけなくて済む。販促費を商品価格にのせずに済みます」。

工房におじゃましたとき強く印象に残ったのはザルに残ったカードの一片をムダにしない、副産物のホエーの一滴もムダにしない徹底した姿勢でした。

「当然です。その積み重ねがあってはじめて、そこそこの値段でおいしいチーズがつくれる。効率の観点からいえばムダなことかもしれません。ひとかけらのために手間をかけて、時間を費やすわけですから。でもね。乳を横取りした牛たち、小売店、飲食店、食べるお客さんのことを考えたら、乳一滴をムダにしないことがいかに大事かという結論に行き着きます」。

「ぼくらのチーズは大衆チーズでいい。付加価値だとかストーリーなんて言葉に躍らされ、高く売る方がいいという世の中の風潮は、食べものに関して言えば間違っていると思う。だからぼくらは工房の利潤だけを追求するのではなく、白糠の自然、牛、酪農家、チーズ屋、流通、消費者のすべてが一定のワガママとガマンを共有しあうことで、共に栄える社会を実現できると信じています」。

「この関係性を維持するために大切なことは何か?決して製品で裏切らない、ということです。おいしくないものをつくらない。これに尽きます。仕事は社会貢献です。全力を尽くしてはじめて必要とされます。地域に必要とされる工房になります」。

全力を尽くすことが信頼に応えるただ一つの方法。だから井ノ口さんはスタッフに厳しい言葉をぶつけます。
そしてそこに共鳴するから、スタッフも逃げずに正面から受け止めるのでしょう。
「全力を出し切って良い仕事ができたら、やっぱり気持ちがいいんです。早朝の真っ暗な時間帯から乳を運んで、一心不乱にチーズを仕込んで、いいものができたら、その日の晩ごはんはたまらなく旨い。『ああ、今日も一日が終わったな』と最高の一杯が飲めます」。

2001年の創業当初、社員はゼロでした。週に一度、知り合いに手伝ってもらいながらなんとか製造を続けたそうです。
工房開設から18年、現在は社員9名が在籍しています。
「一人でやるより楽しいですよ。みんなと一緒にやった方がたくさんのことができる。ぼく一人だったらこんな量のチーズはつくれないし、結果として高いチーズを売らなければならなくなる。みんながいるからこれだけのことができる。いいことだと思います」。

春から始まった立て直し作業に井ノ口さんは手応えをつかんでいるようです。
「今なら(仕事を)渡しても、彼らは本気になってやりますよ」。

次に工房におじゃまするとき、あの貼り紙はもうないかもしれないな。
井ノ口さんのお話を聞きながら、勝手にそう思うのでした。

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『挑む農業 コープさっぽろ農業賞ビジネスモデル賞ケースブック vol.1』
著者/李濟民、北川泰治郎、後藤英之、近藤真弘
発行/生活協同組合コープさっぽろ
定価/1,000円+税

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