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2020年2月3日

にしんが来る。〈石狩湾漁業協同組合〉

ヤーレン ソーラン 
ソーラン ソーラン 
ソーラン ソーラン
ハイハイ

にしん来たとて かもめが騒ぐ
銀のうろこで 瀬が光る 
チョイ
ヤサ エーエンヤアンサーノ
ドッコイショ

ハァ 
ドッコイショ ドッコイショ


取材・文・編集/長谷川圭介  撮影/石田理恵


午前9時、にしんを積んだ船が港に帰ってきました(2019年2月撮影)

北海道漁業の主役から 幻の魚へ。そして再び

 かつて「江戸にもない」と謳われるほど、交易船やヤン衆(出稼ぎ漁師)でにぎわった「にしん場」の春。
その繁栄ぶりは日本海沿岸地域に残された網元の邸宅や番屋などの建築、ソーラン節といった文化遺産からもうかがい知ることができます。
実際どれほどの規模だったのでしょうか。
北海道で史上最高の漁獲量を記録したのは1897年で年間97万トン。
現在、北海道で水揚げされる水産物の合計が100万トン前後で推移していることを考えるとその多さに驚きます。
冷凍庫などない時代ですから鮮魚で出回るのはわずかで、ほとんどは身欠きにしんや「にしん粕」と呼ばれる肥料に形を変え、北前船で全国に送られました。
食用のみならず日本の土にも恵みを与えていたのです。
また、漁師の働き口としてもにしん場は重要な位置を占めていました。
3月~5月にかけて日本海沿岸地域には道内はもとより東北など各地から数万人もの漁師が押し寄せました。
にしんは近代北海道における経済発展の礎となっただけでなく、日本各地と北海道を「つなぐ」魚だったのです。
 けれどもバブルは永遠に続くわけではありません。
20世紀に入り漁獲量は徐々に減少傾向となり、1958年には皆無(ほとんど捕れない状態)となって北海道沿岸の春にしん大漁時代は終えんを迎えます。
「にしんが消えた」原因はなんだったのでしょうか。
乱獲や海洋環境の変化、森林伐採などいくつかの要因が考えられますが、おそらくそれらが複雑にからみあってのことでしょう。
しかし漁業関係者はただ黙ってそれをみていたわけではありません。
「育てる漁業」の研究は既に大正時代末期から進められていました。
数々の試みの中で道は1996年に「日本海ニシン増大プロジェクト」を立ち上げます。
日本海沿岸地域での大規模な稚魚放流に加え、漁業者が実践したのは資源管理の取り組みでした。
刺し網の目合(網目の大きさ)を2・0寸(約6センチ)以上に拡大することで、小さく若いにしんを捕り残し、資源の底支えを図ったのです。
これらの努力と2001年以降に訪れた天然資源の「ベビーブーム」が相まって、近年は安定的な漁獲量を維持できています。

寒空の下、次々と陸に揚げられるにしん。こうした沖揚げ作業のときに歌ったのがソーラン節だったようです

家族の連携プレーで 丁寧に、一刻も早く

 今回おじゃましたのは石狩湾漁業協同組合厚田本所。
この港では約20隻がにしん漁に従事しています。
前述の通り、にしん漁は海の中に網を立てて魚を捕獲する「刺し網」で行います。
小さな魚は網目をするりと通過し、大きなにしんだけが網目に体が引っかかって“刺さる”わけです。
これを網ごと引き揚げて陸で網を外し、選別して出荷するというのが一連の流れ。
岸壁には番屋(作業場)が立ち並び、船の帰りを待ちます。
「来たど」の声で振り返ると、かもめに引き連れられるようにして1隻の船が見えてきました。
第八十八厚福丸。若き親方・中井健太さんの船です。
 港に着くやいなや、中井さんはにしんを満載にしたカゴをクレーンで陸に揚げていきます。
ほどなく番屋はいっぱいに。
入りきらなかったカゴにはシートをかけ、にしんに風が当たるのを防ぎます。
船倉のカゴを運び出すと、新しいカゴを補充し、休む間もなく第八十八厚福丸は再び漁場へ。
多い日には4~5回も出漁するそうです。
 さて、番屋を仕切るのは奥さんをはじめ家族の仕事。
船と連絡を取り、漁模様に応じて出面(お手伝い)さんを手配して出荷作業に備えます。
番屋に運び込まれるのは魚が網にかかったままの状態です。
これを一尾ずつ手で外して、オス・メスとサイズの選別を行い、魚体を洗い、鮮度保持の氷を敷き詰めた発泡スチロールの箱に入れて出荷するのです。
漁の最盛期ともなれば1日に5~6トンの水揚げはざら。
仮に1尾300グラムとして、2万尾近くを箱詰め処理する計算になります。
毎朝5時頃からスタンバイし、忙しい日は夜9時まで作業が及ぶこともあるそう。
にしん漁には船に乗る男たちだけでなく、港で働く女性やご年配の方の存在が欠かせません。

番屋にはこの日、中井さん家族のほかに3人の出面さんが網外し作業を行っていました。中には水産業に携わって50年というベテランさんも

デリケートなにしんの魚体を傷つけないよう注意を払いながら、スピーディーに網から外します

市場価値が高いのは数の子を持つメス。魚の重みで卵がつぶれないようお腹を上にして並べます

番屋をマネジメントするのは奥さま渚さんの役目(写真奥)。この日は中学生の長男・飛雄馬さん(手前右)が手伝いに駆けつけました

中井漁業部のみなさん。左から三番目が厚福丸を率いる中井健太さん、中央は飛雄馬さん、その隣が渚さん。3月下旬までにしん漁は続きます

 各番屋で箱詰めされたにしんは、漁協を通じて首都圏や札幌などの市場、あるいは取引先の加工場へ直送されます。
コープさっぽろの場合、水揚げ当日の深夜には江別の物流センターに運ばれ、札幌市内なら翌朝には店頭に並びます。
「これだけのスピード感をもって販売できるのは産地に近いからこそ」と語るのは石狩湾漁協の佐々木渉さん。
「刺身で食べられる新鮮なにしんが手軽に買えるのはやはり北海道ならではです」。
 頭の痛い問題もあります。
かつてにしんが大量に捕れた時代とは異なり、現在は魚離れが進み、どれだけ品質の良い魚でも簡単に売れるわけではありません。
中井さんは言います。
「年齢を問わず、頭をもぐ(魚をおろす)ことをしなくなりました。理由はわかります。
魚をおろせばゴミが出るし、そもそもおろし方自体がわからないですよね」。
そこで中井さんは北海道ぎょれんの委託を受けて小学校で出前授業を行ったり、個人的な活動として調理教室を実践しています。
「メインは魚の包丁の入れ方。頭の付いた魚を自分でおろすのと、開いてある魚を買ってきて調理するのとではやっぱり違います。塩焼きでも、煮つけでもおろしたての魚のフワッとした食感にはかないません。なんでも便利なものが簡単に手に入る時代ですが、変わらないものの価値もあるんです」。
言葉の端々にクールなマスクに隠されたアツい思いが見え隠れします。
中井さんが言うように、丸魚は一度食べたらまさに目からウロコ。
ほかの地域では口にできない生のおいしさを、ぜひ味わってみてください。

石狩湾漁業協同組合業務兼総務係の佐々木渉さん

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