今月の生産者

よむ

2019年12月2日

酪農を変えたい。~天塩町・宇野牧場の挑戦~

最初に変わったのは
酪農に後ろ向きだった
自分自身でした。

就農にあたって
変えようとしたのは
お父さんでした。
土を変え、草を変え
牛が変わり
牛乳が変わりました。

宇野さんは
今日も
クールな笑顔で
もがいています。

酪農を変えたい、と。

取材・文/長谷川圭介    撮影/細野美智恵


利尻富士を望む総面積1 6 0 h a(放牧地60ha)の敷地で100頭あまりの牛を飼育する宇野剛司(うのたけし)さん。ニュージーランド型の集約放牧を天塩町で実践しています

「365日、毎日働きづめの父を見てきました。
牛の出産や病気のたびに昼夜問わず振り回される姿を見てきました。
だから本当のところ、家業を継ぐのは乗り気じゃありませんでした。
けれども大学(酪農学園大学)時代にニュージーランドの放牧酪農を知り、衝撃を受けました。
彼らには休みもあって、所得もあって、なおかつ周囲からステータスの高い職業と見られている。
そういう酪農なら面白そうだなって。
卒論は従来の舎飼い(牛を牛舎内で飼育すること)から放牧に切り替えたら経営や作業内容にどんな変化があるのか、宇野牧場をモデルにシミュレーションしました。
実習では足寄町の『ありがとう牧場』にお世話になり、同じ北海道で放牧酪農を実践しているのを目の当たりにして希望が湧きました。

卒業して実家に戻り、放牧をやりたいと父に告げたところ、簡単には納得してくれませんでした。
かつて父も放牧を取り入れ、そのせいで乳量が減り、苦労した経験があったからです。
でも、僕がやろうとしていたのは昔ながらの放し飼いではなく、集約放牧という方法です。
ワイヤーで牧草地を細かく区切り、草の状態を逐一管理しながら短いスパンで牛を移動させ、栄養価の高い牧草を計画的に食べさせます。
最初は土の改良から取り組みました。
固く締まった土に有機肥料を入れ、微生物がすみやすい土壌環境に変えていきました。
穀物飼料をやめて草だけで育てるため、多種多様な牧草に切り替えました。
牧区を仕切るための電気牧柵は、お金がないので牛の世話の空き時間に自分で立てました。
50 ha(当時)の牧草地にワイヤーを張るのに丸2年かかりましたね。牛を放牧に慣れさせるまでには思ったより時間がかかりました。
これまで牛舎住まいだった牛たちは、最初おびえて外に出たがらないんです。
与えられた水とエサに慣れ親しんだせいか、地面に生えている青草を食べようとはしません。
でも、時間をかけて食べさせるうちに、青草はおいしいと気づいたんでしょうね、いつのまにか草しか食べないようになりました。
そして3年がたつ頃には父も僕のやり方を認めてくれたようでした」。

「変化は徐々に現れました。
まず、経営的にはマイナスですが、牛1頭が出す乳の量が減りました。でもこれは織り込み済み。
その分、飼料穀物の購入コストは減ったわけですから。
乳量が減ったことで牛への負担も軽減し、乳房炎などの病気にかかりにくくなりました。
放牧に慣れると面白いことに牛たちは体調に合わせて草を食べるようになりました。
お腹の調子が悪ければ繊維質の多い雑草やササを食べて排泄を促すといったように自己管理し始めたんです。
お産も変わりました。
舎飼い時代は牛舎のコンクリートの上で分娩していましたが、母牛の肥満が原因で死産する事故もありました。
放牧を始めてからは歩き回ることで筋肉がつき、牛は産みたいときに草地で勝手に産むようになりました。
母牛の発情を促すホルモン剤や薬も一切やめました。
受胎率が悪くなって生産効率は落ちますが、4産・5産しても元気な牛が増え、長生きするようになりました。

牛乳の質も変わりました。
穀物飼料をやめて草だけにしたことで、ほんのり黄みがかり、さっぱりとした後味の牛乳に変わりました。
冬は夏のうちに刈った牧草を与えますが、夏とはまた違って乳脂肪分の高い濃厚な牛乳が搾れます。
濃いけどねっとりという感じはなく、後味はあっさりです。
おまけに不飽和脂肪酸オメガ3が豊富。
すべて草のおかげです。
放牧は人にも牛にもやさしい。
そう実感しました。  

この牛乳を多くの人に知ってほしいと、7年前に加工を始めました。
最初の商品は『トロケッテ・ウーノ』です。
酪農家の家庭料理に牛乳豆腐があります。
牛乳を酢で固めて豆腐のようにしょうゆをかけて食べます。
搾りたての一番おいしい牛乳でしか作らない、漁師めしならぬ酪農家めしです。
これをモチーフに生クリームやグラニュー糖を加えてスイーツにしました。  

2017年には敷地内にカフェを作りました。
のんびり過ごす牛たちや利尻富士を眺めながら、うちの自慢の乳製品をお召しあがりいただけます。
おかげさまで口コミで広まり、案内看板すらないのに夏はびっしりです」。

「僕が天塩に戻ってきた当時(2005年)、町内には140戸の酪農家がありました。
それが現在は80戸にまで減っています。
酪農は天塩町の基幹産業ですから、酪農の衰退は関連産業に影響し、まち全体の地盤沈下につながります。
そうならないため少しでも地域を支える力になれないかと、現在、離農した農地の取得や借入を進めています。
しかし、労働力には限界があります。
そこで、省力化を図るため搾乳ロボットの導入準備を進めています。
現状は一人で50頭を管理するのが精一杯ですが、ロボットを入れれば一人で何百頭もの管理が可能になります。
ただ、国内で稼働しているのはフリーストール(牛をつながず牛舎内で自由に歩き回れる舎飼い方式)の牧場のみ。
放牧では国内に前例がありません。
このためメーカーが二の足を踏んでいるという状況です。
歯がゆい思いですが、僕はあきらめるつもりはありません。  

省力化と並行して進めているのが牛乳のオーガニック認証です。
これまでも有機栽培で草地を管理し、牛たちは100%オーガニックの草を食べてきましたが、認証を取得すれば特に海外で強くアピールできます。
ほかにも、消化不良を引き起こさないといわれる『A2ミルク』や、新しい加工品の開発も進めています。
牛乳の価値を高めるためにできることは何でもする。
それが、人口減少や国際情勢の変化で先が見通せない今、僕らのような家族経営の酪農家が生き延びる道だと思うからです。
海外の催事に行くと感じるのは北海道産への期待の高さです。
そこに安全という価値を加えれば、世界でも最高峰の食として勝負できるでしょう。

放牧で牛が変わりました。
牛乳の質が変わりました。
食べるものと環境で生産物が変わることを実感しました。
販売を通して宇野牧場の経営のあり方まで変わりました。
今あらためて願うのは、宇野牧場の商品を手にとったすべての方が、健康でよりよい生活を送ってくださることです。
そしてこの地域、さらには北海道全体の環境と経済を維持しながら、いつまでもこの地で酪農を営んでいたい。
そのためにチャレンジを続けていきます」。

この記事をシェアする

おすすめ記事

TOPへ戻る