あすもりフォーラム2022質問の回答ページ

たくさんのご質問をいただきありがとうございました。
北海道で活動する登壇者の皆さんにご回答いただきました。

答えてくださった方は以下の方です。

柿澤宏昭 (コープ未来の森づくり基金運営委員長・北海道大学森林政策学研究室教授)
麻生翼さん(NPO法人森の生活)  https://morinoseikatsu.org/
足立成亮さん(outwoods) https://www.facebook.com/outwoods/
坂本純科さん(NPO法人北海道エコビレッジ推進プロジェクト) https://ecovillage.greenwebs.net/

【質問①】
森の中と外の区分け、空間認識をどのように整理するか
北海道のいわゆる田舎では森に囲まれて日常生活を送っています。人と森の関りを考える際に森の中と外の区分け、空間認識をどのように整理すればよいでしょうか?東京都に比べれば札幌市は森の中ともいえるし、札幌市に比べると本町はさらに深い森の中にあります。 

【麻生翼さんから回答】
人間社会と自然環境が調和した社会に向けて、人と森の関わりについての認識を深めることはとても大切なことだと私も感じます。
ただ、そのために、敢えて空間的に森の中と外を分ける必要もないのではと思います。
現代において、人と森の関わりを考える際には、「関わり方の偏り」に注目することが重要なのではないかというのが私の考えです。
人と森の関わりについてのここ100年くらいの流れを見ると、森は、木材生産の場所という一面的な捉え方から、生物多様性や土砂災害防止、二酸化炭素吸収、レクリエーションなど多様で公共的な価値を持った場所へと、制度的にも、人々の認識的にも、変化してきたと言えます。このこと自体は、さまざまな「人と森の関わり」の価値が認められるようになったという意味で、望ましいことと言えるでしょう。
ただ、そのようなさまざまな関わり方が、人々やセクターにとって、「偏り」がある。特定の関わり方だけが暴走してしまわないように、私たちは注意深くならなくてはならないと思います。
10000年くらい前まで遡れば、縄文人は文化・宗教的にも社会・経済的にも一体的な森との関わりがあり、そのことによって持続可能な森と人の関係が築かれていた、ということができるかもしれませんが、その時代のライフスタイルに我々が戻ることは、(幸か不幸かわかりませんが)できません。ですから、近代社会に暮らす我々にとっては、個人間・セクター間で、森との関わりに偏りがあるということを認識し、相互に価値を認め合い、その上で地球全体や未来にとっての最適を見出していくことを、対話したり、互いに現場で感じたり、小さく実践したりしながら、見出していくことが重要なのではないでしょうか。

【柿澤宏昭先生から追記】
東京、札幌、黒松内はそれぞれ地域の特性をもった「偏り」があるのだと思います。山村でよく聞く話に(特に移住者の方)、「森との距離が近すぎて森に関心を持っていない、かえって森から遠い都市の人のほうが森に関心を持っていた」ということがあります。一方、都市の人の森への関心は観念的なものが多いとも言えます。ですので、その地域性を踏まえて、麻生さんが言われる最適を見出していくことが大事なのだと思います。
外から見ていると黒松内では地域の森の特性を生かして「良い」「偏り」をもって森とのかかわりを構築しながら、それをまちづくりに結びつけようとされてきていると思います。


【質問➁】
キャンプ場が提供できる社会的な役割、新しい価値観は?
道民の森に限らず全国のキャンプ場は、森と都市とをつなぐ中間点になると感じています。その割にキャンプ場の職員が意識できていない、森林の魅力と内在するリスクの両極端があると思います。第1次キャンプブームで乱立した公営のキャンプ場のなかにはメンテナンスが行き届かない危険な場所も見受けられます。COOPさんや皆さんのお知恵として、今後の社会でキャンプ場が提供できる社会的な役割、新しい価値観はどのようなものが想像できるでしょうか?
最近のキャンプ場、整備が整い過ぎてて、便利すぎて自然が感じられなくなってきている気がします。昔のような不便なキャンプ場が増えても良いのでは?といつも思っています。

【坂本純科さん回答】
コロナで自然との触れ合いを求める人が増えたとか、密にならないリクレーションの場としてキャンプが人気だと聞きます。厳しい登山や真剣な農業はできない都市住民が、気軽にキャンプでリフレッシュすること自体はいいことだと思います。
私はあまりキャンプ場を利用しないので、正確なことは申し上げられませんが、ご指摘のとおり、古いキャンプ場はメンテナンスが悪く、また新しいところは過剰に設備が整っており、とても「自然体験」とは言えないように思います。
せっかくのキャンプブームを活用して、ファミリー向けの環境教育施設として展開できないでしょうか。森の働きや動植物について学んだり、川魚や野草を料理したり、生ごみでコンポストを作ったり、1時間程度の簡単なプログラムでもいいので、家族で体験していただければいいですね。自分たちが自然の中にいること、人間も自然の一部であること、自然はつながっていることを意識してもらうと、キャンプ場のゴミも減るし、家に帰っても多少は知識が残るのではないでしょうか。

【足立成亮さんから回答】
「キャンプ場」はかつて場所を提供する場所貸しサービス業だったように思います。場所を使いたい消費者に、整ったモノを提供する。その場合、危険除去などの管理が必要ですが、それは逆に森林の魅力を減らす事にもならないか?と言う考え方もできます。森は危険な空間です。しかし、時速60kmで1tを超える鉄の塊が柵もない空間を無限に走り抜けていく街中よりは、安全な様に思います。問題は、その危険が何なのかを認識できないことにあります。街の危険は子供でも十分に教育されているからある程度のコントロールが効きます。なので、街として、魅力的な空間が広がっているのです。森の危険をきちんと理解すれば、今ある美しく厳しい景色のまま森が存在し、そこに人が訪れることができるのです。
これからの時代は、時間や場所、モノを金で買うのではなく、自ら体験を獲得しにいく、そのために時間を使い、得たモノへの対価を差し出す、と言うのが遊びのスタイルとなるでしょう。
森には人間が忘れてしまっていたり、学び続けられる要素がたくさんあります。それを、体験を通して学び、遊べる場所の一つに、キャンプ場が仲間入りできたらいいですね
現状のスタッフさんでは仕事量が多すぎて難しいと思いますし、テントを張って一泊できて水も火も使えるのに、街中の駐車場料金より安い利用代金では何もできないと思います。価値を理解して、関わる人を増やすといいと思います
森を学べる日をシーズンに何回か設けるとか、一つの公営キャンプ場に木育マイスターなどの森に詳しい人員をつけるとか、森を学べる日をシーズンに何回か設けるとかが実現すると素晴らしいですね。


【質問③】
足立成亮さんへの質問
森林管理経営権は所有者・管理者不在の森林活用法として期待されているが、足立さんにとっては有効な制度でしょうか?

【足立成亮さん回答】
管理経営権を発生させる側の体制によって大きく意味合いが異なるように思います。木材生産・環境保全・アクティビティ・・・色々な目的が想定されます。その地域の産業構造はどうなっているか?既存の林業者にとってこの制度は「荒れ」の原因にならないだろうか?
行政や森林組合、地元に根ざす事業体など、森林林業に長年携わってきた団体、実は結構あって、その中には不在村地主に対するアプローチ努力を弛まず行ってきているところもあります。そのことを踏まえた上で、この方法は有効と感じます。私のような超小規模でキャラクターのある林業事業体や個人が、森と深く関わることのできる”隙間”=「まだ見ぬ森の潜在資源」にアクセスできるようになるかも知れないからです。
同時に、危険だとも考えています。集約化が進むにつれて、森の回復速度、成長量や資源量を超えた施業や利用が多発するでしょう。また、技術知識や処理能力が伴わないままその森に関わる団体個人も増えると思います。
林業的・学術的・文化的・・・、さまざまな角度から森に関わっている専門家たちの存在がより、大事になってくるでしょう。


【質問④】
足立成亮さんへの質問
森林作業道の技術はどうやって習得されましたでしょうか。また、道づくりが大切だと感じられたきっかけはありますでしょうか。

【足立成亮さんから回答】
『サントリーの森づくり』『四万十式林業』で有名な田邊由喜男さんの現場に飛び込んで概念と基本を学び、日本各地の林業地を見て周って“道”についての見聞を広げました。その先は自分の関わる森に合った道の作り方を仕事の中で模索し、現在の技術となっています。森林作業道は作ることが目的ではありません。使われ始めてようやくスタートです。そこから学ぶことは多いです。


【質問⑤】
足立成亮さんへの質問
マウンテンバイカーの方々とのコンタクトはどんなきっかけで生まれたのでしょうか。また、マウンテンバイカーはどういった作業を足立さんのフィールドで行われていますか。

【足立成亮さんから回答】
outwoods(足立)が副業的に行っている薪の仕事のお客さん、また、薪や薪ストーブ関係の同業者との出会いからのスタートでした。薪の話から派生して、「ところで、足立くんは木こりなわけだけど、ヤマを管理しているんだよね?マウンテンバイクでゆっくり楽しめる場所なんかないかなぁ?」いや、たくさんありますよ!と言うところから始まり、5年が経とうとしています。
マウンテンバイクボランティアチームなどと自称されていますが。彼らは基本、僕らの現場で「遊んで」ます。そのかわりとして、自分たちが遊んだり、アクセスのために通ってきたところ=森林作業道、を清掃したり、路面に問題がある場合にはその補修、専門性が必要な場合はその状況の報告をしてくれています。彼らとの森での接点は有機的で、シゴトからアソビの間で、僕ら木こりはシゴト→アソビへの、彼らはその逆からのアプローチのどこかの地点で合流するのです。また、彼らの情報発信力は凄まじく、僕らのシゴトの広告塔になってくれる場合も少なからずあります。木こりが森と街を行き来するパイプ役となってくれているのです。


【質問⑥】
事務局への質問
子育てひろばや店舗の絵本やおもちゃのコーナーに、森を感じられるようなものがあるといいのかな、と思いました。その森を感じられるものを作る活動を、あすもりの植樹活動の代わりにならないかな、とも思いましたがいかがでしょうか。

【事務局から回答】
2023年度の活動では、植樹活動だけではなく子育てひろばやトドックステーションなどで木育体験などが出来るイベントを開催したいと考えております。その際にはぜひご参加いただければと思います。


【質問⑦】
「北海道の森」はスケールが大きすぎて、今回お話をお聞きした「森」とは違っているのではないかと思っています。

【足立成亮さんから回答】
そうでしょうか?本州の森は深く、北海道の森は大きい。全体を見れば、どこのどんな森も人間が関わるには途方もないボリューム感です。森林そのもののスケールではなく、「人間がとらえる森林空間のスケール」を「森の大きさ」と捉えてゆくのはいかがでしょう?
そうすると、「里山」も「奥山」も「林業現場」も、人が関わる森として等しく認識できてゆくような気がします。


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