第7回 応援される、農家になる(大塚ファーム)
「消費者の目線で優れた第一次産業の生産者を応援する」。
このコンセプトを掲げ、2004年に創設されたコープさっぽろ農業賞。
その第1回農業賞で大賞に相当する「コープさっぽろ会長賞」に選ばれたのが新篠津村で有機野菜を生産する大塚ファームでした。
代表の大塚裕樹さんはこのとき31歳。
農業賞受賞がご自身にとっての転換点になったと振り返ります。
取材・文/長谷川圭介
撮影/細野美智恵
野菜づくりは誰のため?
「当時の写真を見ると、僕、厳しい顔をしてるんですよ」。
農業賞の思い出を尋ねると、大塚さんから意外な答えが返ってきました。
「天候不順の年で作っても作ってもうまくいかず、なかなか売れなくて、おまけに人も辞めちゃって。そこに台風が直撃してトマトが全滅。どん底の秋でした」。
2004年9月に北海道を襲った台風18号のことを記憶している方も多いでしょう。道内各地に大きな被害をもたらし、札幌にも最大瞬間風速50m/sを超える暴風が吹き荒れて北海道大学のポプラ並木をはじめ数多くの巨木がなぎ倒されました。
失意のさなかに届いた農業賞受賞の吉報は「心の支えになった」と大塚さんは語ります。
「何万人も組合員さんがいる、その組織が僕たちを応援してくれている。それが素直にうれしかった。それまで僕は、どちらかというと外食産業の社長さんとか、百貨店やスーパーのバイヤーさんとか、そういう人たちに認められることに価値を置いてきました。ところが、そこを目指していても怒られてばかりだったんです。農業賞の受賞をきっかけに組合員活動にも参加させてもらいました。みなさんから温かい声をかけてもらい、消費者に評価されるということが生産者としてこんなにもうれしいんだと、改めて気づかされました」。
農業賞の受賞は生産者としてのやりがいのほかに、もう一つ大塚さんに確信をもたらしました。それは、これまで行ってきた数々の取り組みが間違っていなかったということ。
大塚ファームは当時から農業体験を通じた子どもたちへの教育活動(畑の学校)をはじめ、障がい者の自立支援、外食チェーンと連携した食品残さを活用する循環型農業など、「一歩先行く取り組み」を実践してきました。それが評価されての受賞でした。
「顔の見える農業」から「取り組みの見える農業」へ。
2004年当時は「顔の見える野菜」や「地産地消」といった言葉がもてはやされ始めた時期でもありました。大塚さんはもう一歩踏み込んで「取り組みの見える農業」をこの頃から意識します。なぜか?
「世の中の景気がますます冷え込んでデフレが進み、“より安いもの”が消費者に選ばれる時代でした。有機野菜は高いと言われ、それだけで敬遠されました。そのときに、150円の価値のものを150円で売っていてはダメだと思ったんです。100円で売る?違います。大塚ファームの野菜は150円だけど、300円、400円の価値があると知ってもらえればいいんです。うちの野菜を買うことで障がい者の仕事が生まれたり、高齢者の人たちの働き口が増えたり、循環型農業の輪が広がったり、生物多様性が守られたり…。そうなったら『150円なんてむしろ安い』ってなりますよね。大塚ファームの野菜には150円以上の価値があると知ってもらうには、大塚ファームの取り組みを可視化して、そこに賛同してもらい、野菜を買ってもらうようにすることが大事だと思いました」。
これ以降、大塚さんは積極的に農業体験の受け入れや消費者交流に取り組むことになります。その一つが「畑でレストラン」でした。
「畑でレストラン」は、人気店のシェフが農業賞受賞生産者のもとへ行き、専用のキッチンカーでとれたての素材を使ってその日限りのランチコースを提供するコープさっぽろ主催の体験プログラムです。今年は残念ながら、新型コロナウイルス感染拡大を受けて第1弾開催(6/7〜7/28)が中止となってしまいましたが、例年申込みが募集人数を大きく上回る人気企画として定着しています。
「畑でレストラン」が現在のようなスタイルになったのは2012年からですが、そのパイロット版が初めて試行されたのは2010年。立ち上げに携わったが大塚さんでした。
「もう20年以上前になりますが、ヨーロッパへ農業視察に行ったことがありました。イタリアやオランダを回ってドイツを訪問したときのことです。なんにもない畑の片隅に看板が立っていました。通訳に聞くと、『うちの畑で一番景色の良い場所だ』と書かれているといいます。驚きました。自分の畑を自慢に思い、その景色に誇りを持ち、農業を楽しんでいる。『貧乏だけれど農業がやれて幸せだ』、現地の野菜農家がそう話す姿に感動しました。この経験がずっと記憶の片隅にあったんですね。一年に一度、畑という空間に消費者を招いて一緒にごはんを食べたら、きっと仲良くなれるんじゃないかとコープに提案したんです」。
「でも人は集まらなかったなぁ」と苦笑いの大塚さん。「収穫体験をして、有機野菜の講義を聞いて、とった野菜を自分たちで調理し、帰りに近くの温泉に立ち寄るというバスツアーを実施したんですが、集客には苦戦しました。2年目は畑でバーベキューをやったり、バイオリンの生演奏もやったんですが、それもうまくいきませんでしたね。ところが3年目に人気店のシェフが関わるようになって一気にブレイクしました。シェフのお店のファンがこぞって参加してくれたんです。シェフって偉大ですよね」、そう冗談交じりに笑います。
「畑でレストラン」にシェフが加わることになった経緯は長くなるのでまたの機会に改めますが、これ以降「畑でレストラン」は軌道に乗り、現在に至ります。その間、大塚ファームは毎年会場として畑を提供し、お客さんを迎え入れてきました。
「最初の頃は女性同士のお客さんばかりでした。そのうちに、その方が旦那さんを連れてきたり、娘や孫を連れてきてくれて、どんどん輪が広がりました。毎年のように顔を出してくれるお客さんもいます。うれしいですよね」。
農業は、楽しんだもん勝ち。
今年は3年ぶりに農業賞の審査が行われます。
「毎回、どんな生産者が選ばれるのか楽しみにしています。僕自身も、農業賞を通して多種多様な生産者のさまざまな考え方にふれ、そのたびにいろいろな気づきを得てきました。31歳で農業賞をいただいたときは、正直、スタッフの通年雇用も考えていなかったし、人数も今よりずっと少ないものでした。ですがこの16年の間に、冬場の雇用確保のために加工品製造を始めたり、6次化に取り組んだり、いろいろなことにチャレンジしてきました。当時は私たち夫婦と両親、それに研修生2名でしたが、現在は社員5名、中国からの実習生、さらにパートさんを加え、総勢20名態勢に規模を拡大することができました」。
「農業賞は受賞したら終わりじゃない、本当にそう思います。そして、農業賞をとった『先輩』として未来の受賞生産者に伝えることがあるとすれば、若い生産者のみなさんには農業をとことん楽しんでほしい。自分の農業の中に、楽しみを見出してほしい。それが、その人その人の農業の輝くところになるんです。『こんなにも苦しい思いをして作った野菜です』と訴えても消費者の心には響きません。苦しさよりも楽しんでいる姿に共鳴します。農業の中に楽しさを見つけ、一生懸命がんばっている姿に消費者は共感してくれるものです。だから、めちゃめちゃ農業を楽しんで、めちゃめちゃがんばってほしい。そう思います」。
農業賞の年に大型台風に襲われたように、大塚ファームのこれまでの道のりは決して順風満帆ではありませんでした。就農早々に農薬アレルギーに悩まされたことで有機栽培に大きく舵を切り、丹精込めて育てたミニトマトが大暴落すれば翌年は出荷時期をずらして当時の最高値で販売するなど、壁にぶつかるたびに努力と工夫で乗り越えてきました。
47歳になった今も大型免許の取得に挑んだり、実習生の寮をセルフビルドで手がけたり。未知の領域に挑む姿勢は就農当時のまま。そのモチベーションは一体どこから湧いてくるのでしょう。
大塚さんの名刺には座右の銘としてこんな言葉が書かれていました。
「チャンスはピンチな顔をしてやってくる!」
※2020年4月30日時点での情報です